伊勢神宮伺うのは三回目になる
一昨年から毎年ご挨拶に伺っている
記紀神話では御祭神である
天照大御神よりも古く格式が高そうな
神様がおられるのに
なぜイザナギ尊、イザナミ尊の御子神である
天照大御神を最高神とされるのか?
不思議に思われないだろうか?
地上現界に降り注ぐ太陽のお力は
結果論としてである事の証左
そのお日様すら維持管理なさる意識体が
存在する事を記紀神話の中で暗に認めている
事でもある
大本教的に申し上げれば
国常立大神様が真ん中である、とされている
何が?どう?
答えは国常立大神様というお名前として
地上現界を主宰する神として日本国での
お名前である
大地の神であり日本大地の神である
本来ならば私達人間は地上現界に生きる、
大地こそ一番尊ばねばならないはずである
人間の見方と神の見方は違う
大地があってこその天でもある
太陽神天照大御神様
女神様としてであられるが
記紀神話の天の岩戸開きでは
騙されてお出になられた事になっている
騙した岩戸から騙した神がお出ましぞ
日月神示にあるが
嘘で誤魔化した太陽神は仮の姿
本来は男性神としてである
異論あるかもしれないが
記紀神話のおかしさ、人間臭さ、
まるで神を騙せますよ!と示している
にすぎない、ふぅ、これで本物の神が
お出になられる訳が無い
(悪いが神を舐めている人間如きの意識レベルに落としているそんな意識ならばとっくにこの世は破壊されている
神とは無償の愛である
辛い目にあわせるのも神の愛である
禊、浄化させるには痛みと苦労が必要
申し訳無いが現代に生きる人間には償えない罪穢れを背負った人間が余りに多い
これら人間の贖罪の為に
その時残される眞の御霊の学びの為の時間
削られるのは不憫である
人間の因縁とは人間如きには
到底理解できない複雑さである
誰もが悪人と思う人間が即座に禊がれない
のはその人間に関わる家族、友人、知人
仕事でのやり取りなど
一人が欠けては地上現界に生きる人間の
学び、研鑽には滞りが出る
だから放っておいているほん
本人の禊はこの類は
「国へ帰ってからの禊」
肉体がない分その時の辛さは尋常ではない
とは記す
それもまた
騙して力づくで開けた岩戸
嘘と方便、強いもの勝ちの世界
これがまかり通るからである
今回はその事をお詫びにあがることになった
人間が勝手に神を騙せると信じて疑わない世界を許した側として今回人間としてお詫びにあがらせて頂きます
願い、申し上げる事、誰もが感謝など
神社では述べられるだろう
私は古代の日本人が創り上げた
騙した岩戸開きに対してお詫びする、
普通の人間と何ら変わりない事を
いたしたのである
ここで申し上げる事は
神の眼として地上現界の駐車場と定めた
日本国をその時までどう維持させるか?
予言とかでは無い申し訳無いが地上現界を
一度無くさせる事は
この世創造した時からのご計画
その時までどう御霊を磨き
神に認めて頂ける人間に鍛え上げる
その為の時間を稼がないといけない
日月神示にもあるであろう?
御霊磨けた者だけ神は残すご計画
そのシナリオは作ってある
嘘と思うのは構わない(笑)
その時の確証は今生きている
人間には誰も判らないから
さて、この様な大事を
日本国神界の最高峰と定めた
伊勢神宮そこにご挨拶させて頂く
にもまず日本国古来の神様である
猿田彦大神様にご挨拶させて頂く
二見興玉神社、
ここが古来より伊勢神宮参りの
始まりである
急げよ慌ててはならん
慌てねばならん
日本国の霊界がた落ちである
その底上げ図らねば
世界の維持もままならん
人間の世界である
人間から動き出さねばならん
良きに響かせよ良きに伺えよ
しかし、御霊の立場上
識りすぎた御霊、
嘘くさいと思われるであろうが
私の御霊の出自、そしてテーマはなんと!
愛が御霊のテーマであり
イエスと同じくそこから降りてます
との事、私、愛、という言葉は
「何を甘っちょろい事!」
これは子供の時から思ってた、、
まさか私の御霊が元の神の愛の世界から、
だとは、、
今も驚いている次第である
愛があるから
人間の御霊このままでは
国へ戻ったあとどれだけ、、
残念になる御霊があまりに多い
ならば同じ人間として
同士として!
お伝えするのが最大の愛では?
違うであろうか?